#19 海の男たちのこだわりが生んだファッションの名品! セントジェームスのバスクシャツを探る
セントジェームス看板

2024.5.15

海の男たちのこだわりが生んだファッションの名品! セントジェームスのバスクシャツを探る

佐藤 誠二朗さんメンズファッション誌
「smart」元編集長
佐藤 誠二朗さん

メンズ雑誌「smart」をはじめ、これまで多数の編集・著作物を手掛けている佐藤さん。
2018年11月には「ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新」が発売。
こちらを本屋で見かけて読まれた方もいるのでは!?
そんな佐藤さんが当店の取り扱いアイテムをコラムで熱く語ってくれるコーナーです!
実はあまり知られていないブランドの歴史などもこれを見れば知ることができるかも!?

海の男の実用品だったバスクシャツ

爽やかな初夏に着たくなるブランドといえば……。そう、セントジェームスです!
今回はセントジェームスについて、深掘りしたいと思います。

セントジェームスといえば、その代名詞となっているアイテムが“バスクシャツ”。
バスクシャツとは、フランスとスペインにまたがるビスケー湾沿岸、バスク地方の漁師や船乗りが16世紀から着ていた伝統的な手編みセーターを原型とするワークシャツで、後にフランス海軍の制服としても採用された由緒正しきマリンアイテムです。

バスクの海は大西洋に面しており、風や潮の影響を受けやすいという特性があります。海の様子は季節や天候によって変化し、夏の間は比較的穏やかな日が多いものの、冬には風や波が強くなることがよくあります。

そんな海で働く漁師や船乗りにとって、冷たい雨風から身を守ってくれる温かく丈夫なシャツは、仕事をするのに欠かせない必需品でした。
バスクシャツといえば、ボーダー柄をイメージする人が多いと思います。
この柄も、海で働く際の重要な機能性から生まれたもの。
ボーダー柄は視界の悪い海上でも目立ちます。万が一、海上で遭難したり漂流したりしたときにも、ボーダーのバスクシャツを着ていれば仲間から見つけてもらいやすかったのです。

そして時代とともにバスクシャツの柄は進化し、船長は無地、船員はボーダーなどと区別したり、漁師同士が一目で誰かを見分けるために、ボーダーの幅や色などのバリエーションが増えていったといいます。

さて。
ここまでがバスクシャツの歴史の前半で、19世紀までに起こったこと。
そして20世紀に入ると、この海の男たちが用いた純粋なワークアイテムが、ファッションの世界でにわかに注目されます。

最初のキーパーソンは、かのココ・シャネルです。
ココは1910年、バスク地方で見かけた水兵が着ているボーダー柄のバスクシャツを気に入り、みずからのコレクションに加えることを思いつきました。
そして1917年、ココはジャージ素材の新しいバスクシャツを発表。
この瞬間、バスクシャツはおしゃれアイテムとしての最初の一歩を踏み出したのです。

セントジェームス①
photo:PeterHermesFurian/iStock

有名人の着用からファッションアイテムに

一方、南フランスのアンチーブ岬に居を構えていたアメリカ人の芸術家、ジェラルド・マーフィーが、船乗り向け衣料問屋で伝統的なバスクシャツを発見したのは1923年のことでした。
当時から世界的なリゾート地として有名だったコート・ダジュールでそのシャツを着用すると、彼のそのスタイリッシュな姿が注目の的になります。

そうした著名人の着こなしに影響され、1930年代から40年代にかけて、主にアメリカ人セレブの間で、セントジェームスをはじめとするバスクシャツが大流行。
彼らは、欧米の高級リゾートでこぞってボーダー柄のバスクシャツ着用し、足元にエスパドリーユを合わせるマリンリゾートスタイルを広めました。

天才芸術家パブロ・ピカソもバスクシャツの愛用者として有名です。
20世紀初頭から中頃にかけて旺盛な創作活動を行ったピカソは、トレードマークのようにバスクシャツを着こなし、その姿はポートレイトやスナップ写真で数多く紹介されています。

パリで活動していたスペイン出身のピカソは、バスクシャツに郷愁を覚えていたのかもしれないし、同じ芸術家のジェラルド・マーフィーや、当時の最先端トレンドの影響を受けていたのかもしれません。

他にも、デザイナーのジャン=ポール・ゴルチェ、イギリス王室屈指のファッショニスタであるウィンザー公エドワード8世、ヒッチコック監督作品の常連だったイギリス人俳優ケーリー・グラント、フランス出身の高名な写真家ジャック=アンリ・ラルティーグ、ポップアート界の旗手アンディ・ウォーホルなど、20世紀を彩った洒落者のクリエーターにバスクシャツ愛用者が多く、特別な意味を持つファッションアイテムとして認知されるきっかけになりました。

そんなバスクシャツの代表格ブランドであるセントジェームスの創業は古く、1889年のことです。
ブランド名の由来となっているサン=ジャム(Saint James)市は、フランス北部のノルマンディー地方に位置しています。

世界に広まったフランス流のマリンスタイル

1850年、当時はまだ村だったサン=ジャムの村長であるレオン・レガレという人物が、“ムーラン・デュ・プリウール”という名の紡績工場を設立。
有名なモン・サンミッシェル湾に注ぐクエノン川の岸辺で、栄養豊かな「塩性牧草地」によって飼育された羊の毛を織り、染めるようになりました。
この高品質の羊毛は地元の小間物店や靴下店に販売され、そこでニット帽や靴下などの衣料品が作られたそうです。
村長みずから立ち上げたサン=ジャムの繊維業は、やがて地域の主要産業となるまでに成長します。

そのムーラン・デュ・プリエール工場が1889年、現在に続くセントジェームス社となったのです。
同社は創業当初から、古くからバスク地方で使われているシャツを改良し、ボーダーのマリンセーターを開発。
良質の羊毛を使ったマリンセーターは地元の漁師や船乗りたちの間でたちまち評判となりました。この船乗り達のためのワークウエアが、現在のセントジェームスのシャツの原型となっています。

そんなセントジェームスが、フランスの国民的ブランドにまで成長した背景には、フランス政府が主導した休暇制度がありました。
1936年、政府は労働関連法機を改正し、これまでの制度では年間2週間までだった有給休暇を、3週間まで取れるようにしました。
これにより長期バカンスが取れるようになったフランス人の多くは、夏を海辺で過ごすようになります。
さらに1968 年には、フランスの年間有給休暇は4週間まで拡大。多くの人々が夏になると英仏海峡から地中海、大西洋岸まで繰り出し、フランス流のカジュアルなマリンスタイルを広めていきます。

セントジェームスはバカンスを楽しむことに熱心な国民にアピールするため、季節ごとのコレクションを作成。創業当初からのニットウェアのみではなく、さまざまな生地を扱い、アイテムのバリエーションも拡大していきます。
こうして国民的ブランドとなったセントジェームスは、満を持して1980年代から、日本をはじめとする世界中へ輸出を開始。
今ではエスプリを漂わせるフランスの代表的ブランドとして、ワールドワイドの人気を誇るようになったというわけです。

【セントジェームス】
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【セントジェームス】
【セントジェームス】
セントジェームス③
photo:StockByM/iStock

セントジェームスに匹敵するおすすめバスクシャツ

今では素材感や色柄も豊富に取り揃えられ、ボートネックorクルーネックや、長袖or半袖も選択できるセントジェームスのバスクシャツですので、どんな方でもきっと自分好みの一着を見つけることができるはずです。

また、バスクシャツのようなシンプルなアイテムを自分流に着こなすためには、サイズ感をしっかりと認識することが大事。
オーセンティックなアイテムですので、ジャストサイズで着るのが当たり前のように思われがちですが、元来、自由なリゾート着ですのでそこにこだわる必要はありません。
ワンサイズあるいはツーサイズ上のサイズを選んでゆったりときたら、今っぽいストリート風の着こなしになるでしょう。
またがっちり体型の人は逆に少しタイト目のサイズを選ぶことで、体格の良さをアピールできてよりカッコよく見えるはずです。

どんな着こなしにも対応できる奥行きの深さが、セントジェームスのバスクシャツの魅力でもあるのです。

そして最後に、セントジェームスに負けず劣らずの品質とデザインでありながらコスパ抜群のバスクシャツを紹介したいと思います。

Z-CRAFTのオリジナルブランド、インクルーシブの「ボートネック 長袖Tシャツ」です。
12オンスというヘビーウェイトの丈夫なラギットコットンを使用した、シンプルで着まわしやすいこのボートネックTシャツ。

【インクルーシブ】

1枚でもさらっと着こなせるうえ、ガンガン着倒して洗濯を繰り返してもヨレにくく、ヘタリにくいので、ラフに長く着ることができるのが特長です。

値段もかなり手頃なので、色柄違い、サイズ違いで複数購入し、その日の気分や合わせる服によって変えても楽しそうです。

自由でカジュアルで楽ちんなのに、さらっと着ているだけでおしゃれに見えるバスクシャツ。
すでにその魅力に取り憑かれている人もまだこれからという人も、ぜひ定番・セントジェームスか、コスパ抜群・インクルーシブのバスクシャツをこの機会にゲットしてみてください。

セントジェームス④
photo:Popartic/iStock

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